2019年12月19日(木)の手紙

2019年12月19日(木)


『この方を見たとき、私は死んだ者のように、その足もとに倒れ込んだ。すると、その方は私の上に右手を置いて言われた。「恐れることはない。わたしは初めであり、終わりであり、… 。」』ヨハネの黙示録1章17節


この「恐れることはない」という聖句は、人が最後に行き着く場所である墓地に関して特に適用できるかもしれません。

私たちはもはや死を恐れる必要はありません。
なぜなら、主イエスが墓の鍵を持っておられるからです。

主イエスはこの世のものとは思われない輝きと栄光の中で、あなたの臨終のベッドの傍らに来られます。
そして「花嫁よ。私と一緒にレバノンから、私と一緒にレバノンから来ておくれ。
アマナの頂から、セニルの頂、へルモンの頂から、獅子の洞穴、約の山から下りて来ておくれ」と言ってくださいます。

鍵を差し入れ、死の門を開けてくださる主イエスの姿は、だれもがもっている墓への恐怖を忘れさせてくれます。

確かにこれはまだ起こっていない仮説です。
しかし、あなたはこれによって、死ぬことが幸いなことだと思うことができるようになるのです。

主イエスは墓の鍵を持っておられる方です。
ですから、私たちにはもはや墓を恐れる必要はなくなりました。
むしろ墓に対して希望をもってください。

臨終の時は最も幸いな時となるでしょう。
あなたの最期の時はあなたにとって最も祝福に満ちた時となります。
誕生の日よりも死の時のほうが素晴らしいものとなるのです。

そのときが天国の始まりとなり、永遠に沈まない日の出となることでしょう。
生ける救い主への信仰によって死の恐怖を取り除いてください。

私たちは立ち止まり、暗闇の川の上に漂う霧をできる限りしっかりと凝視してきました。
魂が肉体を離れたということ、また旅人が今まで決して行ったことのない地を身軽に通ることがどんなことであるかを、思い巡らせてきました。

それは、あたかも海峡を渡ってイングランドからフランスに行ったとか、あるいは違った国で他国のことばを話す人の中にいたとか、そのようなこととは異なっています。
あなたは神の国のひとつの領域から別の領域へと通り過ぎて行ってしまうことはありません。

天の霊の国では、神の民は、あなたがすでに話し始めているのと同じことば、新しいエルサレムのことばを話しています。
あなたがこの地で服従をささげている天の王を彼らもはっきりと認め、崇めています。

あなたが天に入ると、あなたが崇めている同じ栄光ある方を彼らも賛美している光景を目の前に見るのです。
そして、この世であなたの救い主であった方の愛の中で、彼らも勝利に歓喜している姿をあなたは確認することでしょう。

God Bless You!!


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