2019年11月7日(木)の手紙

2019年11月7日(木)


『わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。』ヘブル人への手紙12章5節~6節


主イエスはマルタ、マリア、ラザロを愛されました。
彼らは主に特に愛された三人でした。
そのために、主は特別の試練を与えたのです。

貴金属の業者が価値の低い宝石を見つけた場合、それをカットするのにわずかな時間しか費やしません。
しかし、純度の高い、最高級のダイヤモンドが発見されると、その宝石は時間をかけて何度も何度もカットされ、磨かれます。

主は特に愛する聖徒を見つけると、他の人には試練と苦難を惜しんでも、愛する者には惜しみなく与えることがあるのです。
主があなたを愛すれば愛するほど、主の鞭を多く受けていると感じるはずです。

実際のところ、天国に好まれる人になるのは苦しいことなのです。
しかし、むしろ、それを求めなさい。
そして、そのことを喜びなさい。

王である主なる神との会議に臨席できる特権の中には、実は、生身の体を持つ者であれば、だれもが逃れたいと願うような苦痛(そのこと自体、神の祝福なのですが)を伴う信仰の戦いが含まれているのです。
その特権を軽んじてはなりません。

もし庭師が品質の劣る木を手に入れ、それを生長するままにしておくことがあっても、そこから生じる実は捨ててしまいます。
しかし、もしその木が良い木であれば、彼はその枝の一本一本を丁寧に手入れします。

そして、枝が生長すると余分な枝を切り取り、適切に勇定します。
なぜなら、そのことによって、その木は多くの良き果実を産み出すようになるからです。
賢明な庭師は、有害と思われるものは木に残すことなく、取り除くのです。

試練に遭った場合、それはあなたが神に愛される者となった証拠なのです。
ですから、あなたは驚いてはなりません。
むしろ、その心の扉を広く開けたままにしておきなさい。

そして「王の使者よ、ようこそ!
王であり、主なる神である方の足音が背後に聞こえます。
あなたを心から歓迎します。
なぜなら、王であり、主なる神であるあなたが試練を送ってくださったからです」と言いなさい。

God Bless You!!


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