2019年11月30日(土)の手紙

2019年11月30日(土)


『試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。』ペテロの手紙第一1章7節


私たちキリスト者は苦しむことがなければ、傲慢になり、自分を誇ってしまいます。
精神的に強く、健康で、幸福で、あらゆることに満たされている人たちは、神を忘れがちです。

私たちが自分に満足することがないように、そして、私たちの本源が神のうちにあることを忘れることがないように、主はときどき私たちの命の泉を徐々に弱めているように見えることがあります。

主はすべての霊の中心部を枯渇させ、私たちを魂の抜け殻にしたままにし、さらには、笑いの力さえ奪ったままにしているように見えることがあるのです。

自分が何者であるかを理解することができ、逆境によって謙遜にされ、深みから神に叫び声を上げることができるのは、実はこのようなときにほかなりません。

失望落胆したとき、私たちはどこからも決して手に入れることのできない有益な教訓を学ぶことができます。
神が世界のあらゆる部分と、私たちが経験するあらゆるところに美しい、素晴らしいものを備えてくださることをあなたは知っていますか。

他では決して見ることのできない、しかもアルプスの頂上からしか見ることのできない素晴らしい景観があります。
あるいは、谷の深みには山の頂上からは決して見ることのできない美しい光景があります。

しかし、また私たちが住んでいるこの苦難の地… ゲツセマネ… にも見逃してはならない美しいところがたくさんあります。
そして、驚くほどに美しい花がヒョウのねぐらの近くで摘まれることがあるのです。

厳しい苦難を経験することがなければ、神のご性質の一部さえ身に着けることはできません。

ルターは「ああ、苦難こそ蔵書の中の最高に優れた本である」と言っています。
内なる精神が落ち込み、期待しているほどには耐えることができないとき、その本の中で最も素晴らしい部分は最も真っ黒な部分、重苦しさ、落胆と呼ばれている部分であることを付け加えておきます。

苦悩の中にいる人は、身近にいる同じ境遇にある人たちを慰める方法を知っています。
主なる神は… 私はこの聖なる御名を畏れをもって口にしています… 火の中を通過させることなしに、牧師を育てることも、バルナバのような人材を育てることもなさいません。

しかし神は、神の子たちがどんなところにいるとしても慰めることができる力をもっておられます。

神はどんなところでも雷の子を生み出すことができます。
しかし、慰めの子は火の中で作られるのです。

だれが失望に陥っている人に語りかけることができるでしょうか。
だれがその人たちの心の傷を癒すことができるでしょうか。
それは、かつて失意の中にあった人たち、そして、長く悲しみを背負って歩んだ経験のある人たちです。

God Bless You!!


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