2019年11月26日(火)の手紙

2019年11月26日(火)


『今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならないのですが、』ペテロの手紙第一1章6節


私は心身ともに弱っていたため、今週はほとんど寝椅子に横たわり、子どものように泣いていました。
なぜ泣いたのかその理由がわかりませんでした。
私はなぜか、小さなことで泣いてしまうのです。

ある親しい友人が心に大変な痛みがあったにもかかわらず、それでも喜びに満ち、楽しんでいる一人の老人のことを話してくれました。
私はそのことを聞いて、かえって自分に失望し、大変恥ずかしくなったのです。

どうしたらいいかわからなくなりました。

また、がんを患っている一人の女性がいました。
しかし、恐ろしいほどの痛みの中にあっても彼女は「ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに」に満ちあふれていたのでした。

そのとき、即座に私の心に「今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならないのですが」というペテロの手紙第一1章6節の本来意味する内容が閃いたのです。

あなたは嘆かざるを得ない状態へと追いやられ、その痛みに耐えることができなくなり、さらには、死の淵へと追いやられ、死んだほうがよいと願ったことはありませんでしたか。
そして、あなたの信仰が全く何の役にも立たないように思えたことはありませんでしたか。

この御言葉が宣言しているのはこのことです。

時に、キリスト者は雄々しさや喜びの心を欠いた状態で苦痛に耐えなければなりません。
しかし、時にあなたの心が沈むことがあっても、あるいは、時に神の手によって懲らしめられている子どものようになってもよいのです。

愛する者よ、時に私たちは試練、あるいは懲らしめとしての鞭について話題にします。
しかし、それは単に外部から眺めるだけの場合と、実際に身をもって体験する場合とではその内容が全く違っています。

強い人が挫折するのは、神による懲らしめの結果です。
「精神的に落ち込むことがなければ、苦痛は特に気にする必要はない」と言われます。

しかし、これはどういう意味なのでしょうか。
やはり、なぜ人生に試練や苦痛があるのか、気にしているではないですか。

大切なことは、あなたが受けている試練や苦痛の要因と源泉が存在していることを、どのように考えるかということです。

よく考えてみてください。
人生における試練や困難はすべて神から来ているのです。
このことを信じることによって、あなたの心は軽くされることでしょう。

試練は神が与え、そして、神が取り除いてくださいます。
この一つの思いが私の心の糧となり、これによって何日間も慰めと励ましを受けることができました。

信徒のみなさんも、この思いによってわずかであっても何らかの慰めを受けることができるようにと祈ります。
「今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならないのですが……」。

God Bless You!!


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