2019年10月27日(日)の手紙

2019年10月27日(日)


『ただ、御使いよりもわずかの間低くされた方、すなわちイエスのことは見ています。イエスは死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠を受けられました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。』ヘブル人への手紙2章9節


親しい友よ、あなたは貧しいですか。

主イエスをご覧なさい。
主イエスはあなたよりはるかに貧しい方でした。

あなたには今晩休む場所があります。
しかし、主は「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません」と言われたほどです。

あなたは何らかの痛みで苦しんではいませんか。
いや、むしろその痛みを主イエスにお会いできる機会として活用してみませんか。
あなたは「悲しみのあまり死ぬほどです」と言うことも、また、その悲しみは主イエスと比較できるほどのものでもないはずです。

あなたは裏切られたことや見捨てられたことがありますか。
主がユダの接吻を受けたときのことを思い出してください。

あるいは、誠実を誓ってくれた友人に拒否されたことがありますか。
ペテロのほうを振り向いたときの主イエスのお顔とそのまなざしを思い出してください。

あるいは、死の危険に直面したことはありませんでしたか。
「自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました」。
この方を忘れないでください。

主イエスにお会いできれば、私たちの孤独は解消されます。
もしそれでも孤独であれば、それは祝福に満ちた喜ばしい孤独なのです。

主キリストにお会いできれば、見捨てられたと感じることは決してありません。
あるいは、たとえ見捨てられたと感じることがあっても、私たちには最も信頼できる助け主がともにおられるではありませんか。

私たちが主イエスにお会いできれば、私たちは自分の弱さを覚える必要はありません。
なぜなら、主は私たちの力、私たちが賛美すべき方だからです。

主にお会いできることは何ものにも勝る祝福です!
しかし、あなたはもうすでに救い主としての主にお会いしているのです。
またあなたは教師としての主にお会いしたいと願っているはずです。

しかし、あなたは自分の痛む頭をもたせかけることのできる友人としての主に、もうすでにお会いしているのです。
主はあなたの悲しい経験を何事であれ聞いてくださる方です!

この世の荒野へと放り出されることがあっても、あなたがたは常に主にすべてをお任せすることができ、永遠の甘美な喜びを主とともに分かち合うことができます。

そのとき、この地上は、荒野であってもバラの花が一面に咲きそろっているように見えてきます。
そして、 あなたの魂は今この地上においても天国の前味を十分に楽しむことができるのです。

God Bless You!!


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