2019年10月23日(水)の手紙

2019年10月23日(水)


『しかし、神の堅固な土台は据えられていて、そこに次のような銘が刻まれています。「主はご自分に属する者を知っておられる。」また、「主の御名を呼ぶ者はみな、不義を離れよ。」』テモテへの手紙第二2章19節


主イエスの力は、困難の中にいる神の民が保たれ、支えられ、励まされるときに、彼らの中で遺憾なく発揮されます。
神が貧しい弱い被造物を強くするのを神の民が目撃することなしに、だれが神の力の完全性を知ることができるでしょうか。

私の知り合いに、たびたび激しい苦痛に襲われることのある、内気で病に伏せっている一人の女性がいます。
一息一息が痙攣であり、脈拍が通常より激しく脈打っています。
その体の一つ一つが大きな痛みによって影響を受けています。

しかし、それでも彼女は元気そうに見えます。
できるだけ、痛みを隠そうとしているからです。
そのうえ、しばしば彼女は健康な人のように楽しそうな声を出しています。

彼女が自分の苦痛について語らなければならないとき、彼女は完全なあきらめをもってそれらを受け入れているのではないかと、だれもが感じるほどです。

どんな人も主が定めているある期間、肉体の痛みに耐えなければならないときがあるのです。
強い人が強いことを口にできるのは不思議なことではありません。

しかし、私は何らかの弱さをもった人から力強いことばを聞き、悲しんでいる人が他の人を慰めているのを見ると、非常に驚かされます。
というのは、彼らこそ慰めを必要としている人たちではないかと私には思えるからです。

彼らの快活さに注目してください!
私たちはわずかな苦しみを受けただけで、たちまち衰弱するのは目に見えています。

神の力はむしろ、このような試練によって余すところなく示されるのです。
主にある信徒が貧しさ、苦難、失望、そして、弱さに陥りながらも、また激しく攻めたてられても、それでも、波の中の岩のように動ずることなく悠然と立っている姿を見るとき、あなたは神の力の偉大さをはっきりと目にすることができるでしょう。

厳しい試練はむしろ神の大きな力を明らかにするしるしなのです。

God Bless You!!


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