2019年10月22日(火)の手紙

2019年10月22日(火)


『耐え忍んでいるなら、キリストとともに王となる。キリストを否むなら、キリストもまた、私たちを否まれる。』テモテへの手紙二2章12節


たとえ働くことができなくなり、静かに横たわり、ただ耐え忍んでいるだけの状態になっても、黙従は、主にある喜びが与えられる貴重な管であることを忘れないでください。
苦難の中にあるとき、その苦難が神から与えられた試練であると心から思えることは、幸いなことです。

石臼の間で押し潰され、油が搾り出されても、感謝の油以外何も生み出されないのなら、それは大いに喜ばしいことです。
苦悩の中で押し潰されることがあっても、神に完全に従うという尊い穀物を生み出されるとすれば、それは本当に幸いなことです。

試練の中にあっても神の栄光を現すことができるとすれば、神の似姿に近づくことであり、そこは地上における小さな天国同様の場所となるのです。

愛する主との日常的な交わり、それは特別に尊いものです。
しかし、それは主とともにありたいために、茨や棘の中を通り抜けなければならないときに経験する交わりと、決して同じではありません。

花婿が一緒にいるという理由で、悲しみの最中にあっても悲しむことなどできないと感じることは、喜ばしいことです。
恐ろしい嵐の中にあっても、天国に向かって高い波頭を進んで行ける人は幸いです。
それゆえ、嵐の中にあっても神に向かうことができる人は祝福された人であり、これこそが真実の幸いなのです。

天国へと通じる安全な王道があります。
その道の中央には特別な場所があり、そこは安全地帯であり、そこを歩む人はすべて幸いなのです。
そこではあらゆる危険から守られます。

多くの信徒はフェンスに囲まれたその道の内側を歩みます。
時に彼らはその道の傍らにある溝の中を歩くことがあるかもしれません。
しかし、そこも安全です。
ですから、彼らはあらゆる不便を我慢できるのです。

その道の中央を歩む人たちはライオンにも、また獰猛な生き物にも遭遇することはありません、主が彼らの友であり、彼らを襲うものをそこに送り込むことはないからです。

力強い神とともにあることによって、あなたはその力を受けることができるようになります。
神は常に変化を与える方です。
神との交わりは、私たちに与えられている神の似姿に豊かな変化を与え、その結果、私たちはますます神に似る者とされるのです。

God Bless You!!


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