2019年10月21日(月)の手紙

2019年10月21日(月)


『そのために、私はこのような苦しみにあっています。しかし、それを恥とは思っていません。なぜなら、私は自分が信じてきた方をよく知っており、また、その方は私がお任せしたものを、かの日まで守ることがおできになると確信しているからです。』テモテへの手紙第二1章2節


何年か前、私はひどい失望に陥っていました。
心から信頼できる人はいましたが、私は自分が語った説教からも慰めを受けることはできませんでした。
さらには、自分が本当に救われているのかさえ疑わしくなったのです。

私は休暇を申し出、その期間、ある町のウェスレイ教会の礼拝に出席しました。
その教会で語られていた説教は福音に満ちあふれ、私は聞きながら目から涙が出るのを抑えることができませんでした。

湧き出る喜びを抑えることができなかったのです。
私は「そのとおりだ。霊的生命がよみがえった。福音が私の心に触れ、魂に感動を与えてくれた」と心の内で叫びました。

礼拝後、説教者にその説教について感謝の意を伝えたところ、彼は私をじっと見つめて、ほとんど自分の目を信じられない様子で、「あなたはスポルジョン先生ではありませんか」と言ったのです。

私は「そうです」と答えました。
ところが彼は「先生、今朝私が説教したのは、実はあなたの説教そのものだったのです」 と答えたのです。

私はそのことはわかっていました。
それが私の慰められた理由の一つだったからです。
私は自分自身の作った薬を飲むことができることがわかったのです。

私はその説教者に、「夕食においでになりませんか」と私の宿に招待しました。
その日、自分の説教の一つが別の教会の会衆に語られるように導かれたこと、また自分の説教によって、自分自身が豊かに養われることがあることをともに喜んだのです。

私にはこのことがよく理鮮できるのです。
私がどのような者であろうと、主キリストの福音ほど私の魂を感動させるものは、ほかにはないからです。

使徒バウロは、「そのために、私はこのような苦しみにあっています。
しかし、それを恥とは思っていません。
なぜなら、私は自分が信じてきた方をよく知っており、また、その方は私がお任せしたものをかの日まで守ることがおできになると確信しているからです」と言っています。

同じように感じることがあなたにはありませんか。

God Bless You!!


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