2019年1月4日(金)の手紙

2019年1月4日(金)


『ヤコブは眠りから覚めて、言った。「まことに主はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。』創世記28章16節


清教徒たちは、常に臨在される神を信じました。
文字どおり彼らは大きなことにも、小さなことにも、起きているときも、寝ているときも、外出しているときも、帰宅したときも、神の臨在を感じることができたのです。

神が常に存在しておられることを知り、感じ、神にあって歩んでいる人は、より祝福された人生を送り、栄光に輝く聖霊に深く結びついている人です。

たとえあなたが困難に陥り、あるいは嵐の最中に放り込まれ、病床にあるとしても「まことに主はこの場所におられる」との声を聞くことができるなら、全き平安を得ることができます。

もし、神がそこにも臨在しておられるなら、不安はたちまち消え去り、恐ろしい稲妻があなたを襲うことはありません。
たとえ、そのようなことが起こるとしても、それは喜びに変えられるのです。

嵐も大波もあなたを襲うことはありません。
そのようなことが起こっても、主なる神がそこにおられるなら、恐れる必要は何もありません。

恐れるとき、緊張に押し潰されそうなとき、「いにしえよりの神は、住まう家。
下には永遠の腕がある。
神はあなたの前から敵を追い払い、『根絶やしにせよ』と命じられた」と言われています。

あなたはひどい窮乏に陥り、むきだしの壁、家具のない部屋にいるかもしれません。
しかし、それでも「まことに主はこの場所におられる」と告白できるのです。

「苦難の中にあって、いったい神は私に何を与えようとしておられるのだろうか。」
このいにしえのキリスト者の叫びを思い起こしてください。
貧しくても神の臨在を力強く感じることのほうが、世の富を豊かに所有しながらも神の臨在に気づかないことよりも、はるかに価値あることです。

ある人たちは過酷な状況の中に置かれています。
その苦難があまりにひどいために、その状態が永遠に終わらないのではないかとさえ考え、極度に落ち込むことがあります。

しかし、忘れてはなりません。
「まことに主はこの場所におられる」ことを。

ある人たちは特別な務めに召されていますが、そのことを自覚できていません。
しかし、どんな務めであれ、神から与えられた召しとして受け入れ、全うしてください。
というのは、主があなたをそこに置かれたからであり、主はそのところにもおられるからです。

主が助けてくださいます。

God Bless You!!


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