2018年9月9日(日)の手紙

2018年9月9日(日)


『わたしを呼べ。そう、すれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう』エレミヤ書33章3節


このみことばは私たちに「理解を越えた大いなる事」とは何であるかを考えさせます。

すると、私たちは無意識のうちに、世界の大破局や、未曾有の技術革新を思い浮かべます。
または、核の廃絶。
惑星への到達。
世界の食糧問題の解決、などを考えます。

「理解を越えた大いなる事」。
主は何を言おうとされるのでしょうか。

聖書を続けて読み進むと、答えがわかってきます。
そして驚きます。
なんと「(わたしは)彼らがわたしに犯し、わたしにそむいたすべての咎を赦す」とあるからです。

罪の赦し。
「理解を越えた大いなる事」とは、このことなのです。

多くの人は肩をすくめて笑います。
「罪の赦し、それが大いなる事なのか」。

主は、そうだ、と言われます。
また、赦しを経験した人々の良心は、それがいかに大いなることであるかを知っています。

私たちの罪は恐るべき現実です。
ただ脇へ押しやるわけにはいかないのです。
しかも、神でさえも脇へ押しやることはできません。
神の義がそれを許さないからです。

私たちには「正義によって贖われる」ほかに、道はありません。
私たちの背きの罪は当然、処罰とさばきを受けなければなりません。

ですから、神が御子を身代わりとし、保証として与えて、この方が私たちに代わって代価を払い、贖いをしてくださったということは、実に「理解を越えた大いなる事」なのです。

主よ。
私たちの目を聞き、赦しのすばらしさを見させ、味わわせてください。アーメン

God Bless You!!


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