2018年9月5日(水)の手紙

2018年9月5日(水)


『ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。』イザヤ書55章1節


聞き違いでしょうか。

「金を払わずに、ただで買え」。
そんなことがあるでしょうか。
「ただは死ぬことだけ」ということわざがありますが。

ところが、死ぬこと以外にもただで買えるものがあるというのです。
それは宣伝用の試供品ではありません。
そうではなく、だれもがそれが何であるかを知らずに慕い求める高価なもの。
すなわち心の渇望を癒すものです。

この世は至る所で、このまことのいのちに対する燃える渇望を癒してみせようと約束します。
が、もちろん、金を持って来いと言うのです。
金を払えと言うのです。

そして癒すこともなく、私たちをだましたことが明らかになると、次はこうです。
「もう少しお金を持って来ればよかったのに」。

すると人は愚かにも世を駆け回りつつ、「ああ、お金さえあれば、いのちを見いだせるのに…」と考えます。

この世はしばしば、全くの汚物というほかないものを高値で売りつけます。
預言者イザヤのことばは、この二十世紀に書かれたのではないかとさえ思わせます。

「しれ者は恥ずべきことを語り、…飢えている者を飢えさせる」。

世の偽りに気づくならば、人はあまりのことに息を呑むでしょう。
が、その時、復活の主イエスがこの世界に立ち、飢えた心に向かって、「まことのいのちをただで買え」と叫んでくださるのです。

ただで、この最も高価なものを。
そうです。

かつてひとりの青年が言ったとおりです。
「ぼくはもう、キリストなしには絶対に生きられない」。

主よ。
あなたこそいのちです。
私たちを満たし、渇きをいやしてくださいます。
感謝いたします。アーメン

God Bless You!!


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