2018年9月4日(火)の手紙

2018年9月4日(火)


『それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。』イザヤ書53章12節


これはなんという驚きでしょうか。
私たちの主イエスについて、これはなんという言い方でしょうか。
主が「略奪者」呼ばわりされるとは。

戦争の際に、毛皮の外套や時計を持ち帰るのが、略奪者であり、彼らは手に負えない輩です。
それが主イエスと何の関係があるのでしょうか。

ところで、きょうのみことばでは、天の父なる神ご自身が言われます。
「わたしが 多くの人々を戦利品として彼に与える」と。

そうであるならば、私たちは注意深く聞かなければなりません。
主イエスは、私たちの考え次第の方ではなく、御父のみこころどおりの方だからです。

さて主イエスは神から戦利品をお受け取りになります。
ただし、その戦利品は財宝や物品ではなく、人間です。

イエスは、このイザヤ書53章でまず、苦しむ者、死にゆく者として表されます。
荊冠をかぶせられ、あざけられ、唾気される者として。
刺し通され、引かれゆく者として。
ほふられる小羊のように、黙々と苦しみ、死ぬ者としてです。

これによって、あの十字架上の出来事が戦闘であったこと、主がひとりで戦い抜かれた壮絶な戦であったことが、明らかになります。

そして主は、このゴルゴタの戦場から、ご自介の戦利品を持ち帰ってくださいます。

私たちは主の戦利品となった人々の大集団を思い浮かべることができます。
彼らは高らかに、「私たちは主のものとなった」と叫びます。

パウロはもっと鮮烈に、「私はキリストの奴隷」であると語りました。
イエスの弟子たちはみな、自分が主の戦利品であることを喜ぶのです。

主よ。
荊冠の栄光の王よ。
私たちをあなたの戦利品とし、凱旋行進にお加えください。アーメン

God Bless You!!


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