2018年9月28日(金)の手紙

2018年9月28日(金)


『それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。』ルカによる福音書


「ザアカイはいったいどうしたというのだ」。
知人たちは一様に首をひねりました。
「これまでは賢い男だったのに」。

それは事実です。
彼は、世の生き方については、なんと利口だったことか。

「人間は自分の足でしっかりと大地を踏みしめなければならない」。
特に実入りの多かった日には、それを金庫に詰め込みながら、彼は豪快に笑って、そんなことを言ったでしょう。

「金もうけのためには、多少は神のおきてを踏みつけにしても、痛むことはないのだ」と。

実にこのザアカイという男は利口でした。
しかしそれも、「わが人生は全くの愚行であった」と気がつくまでのことでした。
神との平和がなければお金も財産もいったい何になるか。

彼は自分を陸に放り上げられた魚のように思い始めたのです。
「神こそが人生の必要条件だ。
そして自分はこの条件の全く外にいるのだ」と突然に悟ったからです。

この場合に救い得るのはイエスだけなのだと、いったいどうやって理解したのか、私たちにはわかりません。
が、いずれにせよ、世の目に照らすならば不合理としか見えないことを、彼はありったけ実行するのです。

この金持ちは、イエスを一目見るために群衆に紛れ込もうとし、それがうまくいかないと、今度は木に登りました。
先に登った男の子たちが、笑いながら彼を引っ張り上げたかもしれません。

これらは全く愚かと映ります。
が、実はそれはザアカイがついに賢明な者になり始めたしるしでした。
彼の生涯に、こんな約束が与えられたからです。

「もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。
わたしはあなたがたに見つけられる。主の御告げ」。

主よ。
私たちをも、真に賢明な者とならせてください。アーメン

God Bless You!!


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