2018年9月25日(火)の手紙

2018年9月25日(火)


『イエスは、その女を見て…。』ルカによる福音書13章12節


あるとき、ホテルのレストランで昼食をとっていました。
すると突然、ひとりの紳士が飛び込んで来ました。
「先ほど、ここに財布を置き忘れたのですが…」。

支配人が「お世話をいたしました者をお覚えですか」と尋ねると、男は辺りを見回して、困った顔をして言いました。
「いや、忘れましたなあ。
給仕さんにまでは注意していないので」。

人間はそんなふうにお互いを扱うものです。
一時間も給仕した人に、お客は一目もくれなかったのです。
私たちは、互いの傍らをこれほどにも冷淡に無関心に通り過ぎるのです。

主イエスは全く違った方です。
群衆の中に年老いた女性が、寄る年波と病気とで、体を曲げて立っています。
痛ましい人の子よ。
彼女のことを心配する者はいるのでしょうか。

けれどもイエスはご覧になっていました。
主は彼女を呼び寄せて、助けてくださいます。

取税人ザアカイも、あの日の話となると、尽きることがありません。
木の上に隠れていたこと。
イエスのまなざしが注がれたこと…。

ザアカイは告白します。
「主の目が私を捕らえて、情けないこの姿と、神との平和を求めるこの憧れと渇望とを、見抜いてくださったのだ」。

レビは収税所に座っていました。
人々は彼に通行税を放り投げると、この下劣な詐欺師である、ローマの手先に顔をそむけて、唾を吐くのでした。

そこへイエスが来られます。
立ち止まって、じっと彼をご覧になります。

主はレビの卑劣さに目を留めてくださいました。
が、レビの心の、神への渇きをも見抜かれます。
それからレビを弟子として召してくださったのです。

主よ。
主の前に、ありのままに立ちます。アーメン

God Bless You!!


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