2018年9月2日(日)の手紙

2018年9月2日(日)


『クモは自分の手で働くが、王の宮殿にいる。』箴言30章28節


ソロモン王はある日、宮殿で一匹のクモを見かけました。
私たちが王であるならば、急いで召使いに始末をさせるでしょう。

が、ソロモンは少し違っていて、城にいるクモについて思いを巡らします。
「クモが王の宮殿にいるとは」。

王宮とクモ。
なんという不釣合いな、と彼は考えました。

クモはいやな生き物です。
実際、多くの学者によれば、ここで使われるヘブル語は、気味の悪い、毒を持ったやもりを表します。
それは王宮にふさわしいものではありません。

そこでソロモンは霊的な事柄に思いを馳せました。
「このクモが私にふさわしくないのと同じように、私は、王の王、生ける神にふさわしくない者だ。
それなのに、クモはここにいる。
そして私も生ける神の子どもとされている」。

私たちはクモのことから、神の恵みを思い返します。
十字架上の盗賊と神の御子。
不正な取税人レビと王の王なるお方。
私たちと主イエス。

これらの組み合わせは、クモとソロモンの場合よりも遥かにかけ離れたものです。
それなのに、私たちはこのように組み合わせていただけるのです。
私たちを導くために、神の御子が私たちと同じ血肉をまとってくださったからです。

新約聖書は、「イエスは罪人を受け入れて…」という知らせに満ちています。
ちょうどソロモンが王宮にいるクモを見て驚いたように、パリサイ人は罪人とともにおられる神の御子を見て驚き、「この人は、罪人たちを受け入れて食事までいっしょにする」とつぶやきました。

しかし、これこそが神の大いなる恵みなのです。

主よ。
私たちはあなたにふさわしくない者です。
それでも、あなたはその血で買いとってくださいました。
感謝いたします。アーメン

God Bless You!!


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