2018年9月18日(火)の手紙

2018年9月18日(火)


『イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。』マタイの福音書7章28節


「群衆は驚いた」というのですか。
イエスには確かに私たちを動転させる独自の面があります。

新約聖谱は35回も、人々が主イエスに出会って「驚いた」と書き記しています。
ギリシャ語では「うろたえ」を表すことばです。

イエスが山上での説教を終えられたとき、彼らは「驚いた」のです。
それは、「律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように語られたから」でした。

イエスが悪霊を追い出されたとき、人々は驚きました。
よみの力よりも強い方が現れたからです。

弟子たちが夜の湖の上で暴風にこぎ悩んでいたとき、イエスは波の上を歩いて近づかれました。
彼らの驚きを想像することができます。

主が「あなたの罪は赦された」と仰せになると、彼らはいよいよ驚きました。
御子の十字架の死に臨んで、太陽が光を失ったとき、彼らは驚きました。

イースターの朝、墓が空であるのを見、御使いが「主はよみがえられた」と言うのを聞いて、彼らは驚きました。

さて、今日のキリスト教会をご覧なさい。
そこにはこのうろたえ、驚きの、跡形さえも見当たりません。
私たちはまだイエスを本当には知っていないのではないかと、私は懸念します。

ギリシャ悲劇『アンティゴネー』は、紀元前450年頃のソポクレースの作ですが、その中でクレオーン王が言います。
「恐るべき悲運がわが身に降りかかった」。
これこそは、この世が味わう驚きです。

イエスに対する驚きは、これとは違うものです。
そこには喜びが溢れます。
哀れな人間である私たちへの、神の完全な救いが、イエスにあって降りかかったからです。

いったいだれがこれを理解し尽くせるでしょうか。

主よ。
あなたの救いを完全に悟るに至らせてください。アーメン。

God Bless You!!


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