2018年9月13日(木)の手紙

2018年9月13日(木)


『それゆえ、見よ、わたしは 彼女をくどいて、荒野に連れて行き、優しく彼女に語ろう。』ホセア書2章14節


このみことばでは、「それゆえ」が最も麗しいでしょう。

そのすぐ前の13節では、「(彼女は)わたしを忘れてバアルに仕えた」と神は言っておられます。
イスラエルの民を不真実な女性にたとえるのです。

そこで当然のことながら、厳格なさばき、処罰、怒りが予想されます。
怒りに満ちた主は何と言われるでしょうか。

「それゆえ…わたしは彼女をくどいて荒野に連れて行き、優しく彼女に語ろう」。
なんという神の論理でしょうか。

私たち人間の理屈によれば、悪者は当然、懲らしめを受けるものです。

神の場合は違います。
イエスが私たちの罰を身に負われたからです。
私たちがよこしまなので、正しい神を捨てたので、慰めと助けを他に求めたので、心が強情なので、それゆえ主は私たちを説得し、優しく語って、くださるというのです。

ここに全幅の福音があります。

律法学者とパリサイ人は、新約聖書によると、失われた人々に近づくイエスを見て、不審に思いました。
「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする」。
彼らは半ばあきれ半ば叱責を込めてそう言いました。

そこで主イエスは羊飼いの話をなさいます。
羊飼いは迷える羊を死ぬにまかせず、あとを追い、捜しに捜して、ついに見つけ出すのです。

あなたにはこの福音がそれほどにすばらしいものとは思えないかもしれません。
が、ひとたび自分の実情と神の聖さとに驚くならば、そのときに私たちは喜び踊ることでしょう。

捨てられても仕方のない者たちを、神が見捨てずにくどき、捜し、イエスにある恵みを与えてくださるという、この事実に、私たちは喜び踊るのです。

主よ。
私たちを導いて、あなたの誘いに従う者としてください。アーメン

God Bless You!!


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