2018年9月11日(火)
『彼らの忌むべきもの…の心を、自分の心として歩む者には、彼らの頭上に彼らの行いを返そう。神である主の御告げ』エゼキエル書11章21節
もしも私たちが、神をまじめに考えない人々の中に入っているとすれば、このみことばは私たちに宛てられたものです。
神はここで恐るべきことを語っておられます。
「罪人に、彼らの行いをその頭上に返す」。
だれかが私たちの古い罪を話し始めたならば、私たちはすぐさま、「ああ、昔のことはそっと静かに眠らせてくれ」と言うでしょう。
自分の罪を認めたくないのです。
その上に草を生やしたいと思うのです。
しかし、きょうのみことばは言います。
「昔のことは眠らない。罪は起き上がる。神がそうされる」と。
「わたしは罪人の頭上に彼らの行いを返そう」。
もしも私たちの罪が起き出したならば、痛ましいことになるでしょう。
そうなると(このみことばによれば)、私たちは頭に猛烈な痛みを受けることになります。
たわいもない罪と思ったことが、ひどい痛みとなるのです。
「現代人には『罪』ということばは、もはや通じない」と言われます。
さて、この「現代人」とやらであっても、もしも神がその人の罪をその頭上に投げつけられたならば、口もきけなくなるでしょう。
そうなると、彼にも罪ということばは通じ始めるのです。
なんと恐ろしいことでしょうか。
そうなれば、私たちはどうすればよいのでしょうか。
さて、ここにすばらしい道が備えられています。
神が私たちの罪を私たちの頭上に投げつけられるまで、待つことはないのです。
それらの罪を真剣に受け止めて、それを捨てましょう。
どこに。
私たちのために十字架上に死んでくださった救い主の足もとに、です。
イエスの十字架において、私たちの罪は完全に処分され、抹殺され、赦されています。
主よ。
この恵みの時に、私を整えてください。アーメン
God Bless You!!
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