2018年8月8日(水)
『夏のうちに集める者は思慮深い子であり、刈り入れ時に眠る者は恥知らずの子である。』箴言10章5節
「それはわかりきっている。
しかも、それはお百姓さんにだけ言えることだ」と思ってはなりません。
賢いソロモン王はここで霊的な事柄を語っているのです。
人間は神に対して果てしなく愚かであり得るとの見解を、彼は持っていました。
そして真の賢さを持つようにと、私たちに勧めるのです。
「夏のうちに集める者」。
夏ということばで何を表そうとするのでしょうか。
詩人パウル・ゲルハルトは歌いました。
「あなたの恵みの夏が、朝な夕な、わが心に、信仰の実を結びますよう」。
少年時代に、私は、父がひとりの人に向かって主への奉仕を勧めるのを見たことがあります。
相手は笑いながら答えました。
「教会は蛙ではない。
逃げ出すわけでもないでしょう」。
ソロモンは言います。
それは愚かだ。
人生にはひとりひとりに恵みの時があり、その時にイエスは私たちを招いてくださり、恵みの夏が始まるのだ、と。
その時こそ、手を伸ばして恵みを捕らえなければなりません。
「夏のうちに集める者」。
ソロモンは預言者イザヤと同じことを語っています。
イザヤは「主を求めよ。お会いできる間に」と叫びました。
そしてイエスはエルサレムの町のために泣き、「それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ」と言われました。
主イエスはまた仰せになります。
「見よ。
わたしは、戸の外に立ってたたく。
だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入る」。
これこそが恵みの夏です。
眠りから覚め、罪の赦しをいただいて、神のものとされるべき時です。
主よ。死の時に、または再臨の時に恥じるとすれば、それは恐ろしいことです。
私たちの目をさまし、永遠のいのちに必要なものを受け取らせてください。アーメン
God Bless You!!
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