2018年8月5日(日)の手紙

2018年8月5日(日)


『人の日は、草のよう。野の花のように咲く。 風がそこを過ぎると、それは、もはやない。 その場所すら、それを、知らない。』詩篇103篇15節~16節


かつてひとつの青年グループが生まれました。
彼らは 旧世代に不満を持っていました。
それで若い世代の革命的思想を示威するために結束したのです。

彼らは綱領を発表しました。
芸術、宗教、文化、哲学について、自分たちの新しい考えを宣伝しました。
そして何事につけ、「我々青年は」と大変な勢いでした。

しかし、それも、ある大新聞にひとつの論文が掲載されるまでのことでした。
ひとりの青年がその論文の中で あのグループは「青年」の名での物言いをやめるべきだ。
彼らは早くも固陋の中年に足を踏み入れているからだ、と書いたのです。

それでグループは気づきました。
「時の流れは早いものだ。
間もなく次の世代が登場して『今や我々こそが青年だ』と息巻くにちがいない」と。

時の流れは早いものです。
私たちの人生は全くあっという間に過ぎ去るのです。
出生と死亡との間の、つかのまのいのちに、私たちはいったい何を始めようというのでしょうか。

オーストリアのガルノイキルヒェン奉仕女の家に古い大きな置時計があります。
それには「時は恵み」と銘が刻まれています。

私たちに与えられた短い時間は、ひとつの機会でもあります。
これをいたずらに過ぎ去らせて、人生を台なしにすることもできるでしょう。
しかしまた、この恵みを受けて、愛によって人生を美しくすることもできます。
神の愛の受肉そのものである主イエスが、私たちの心に注いでくださる愛によって、そうすることが
できるのです。

私たちの救い主に言いましょう。
「主よ。
たとい私たちが野の花であっても、美しくあるよう、お助けください」アーメン

God Bless You!!


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