2018年8月21日(火)
『なまけ者は言う。「獅子が外にいる。私はちまたで殺される」と。』箴言22章13節
ソロモン王はおもしろい光景を語っています。
怠け者がベッドに長くなって眠っており、ようやく薄目を開けると、日時計をながめてびっくり。
「おや、もう昼だ。
仕事に出かけなければ」。
が、ふと思いつきます。
そうだ、友達が話していた。
彼のおばさんが聞いたところによると、なんでも、男がライオンに喰われたそうだ。
そこで彼は言います。
「そうだ、そうだ。出かけるのは軽率だ。
ライオンが外にいるかもしれない」。
そして、また眠ってしまいます。
ライオンが町なかにいるわけがないことを、充分に承知しながら。
私たちも似たようなものです。
この世のさまをありのままに見ず、見たいように見、都合のよいように見るのです。
理想主義者は、実情がまるで逆であってもなお、人の善を信じます。
唯物論者は、神がご自分をはっきりと示しておられてもなお、神を侮ります。
A夫人とB夫人とが反目しあっていれば、A夫人にはB夫人のすることは何から何まで、悪意、虚偽と映ります。
先生が心血を注いで教えても、生徒は先生を独裁者と見ます。
私たちの罪が天に向かって叫び声をあげていても、私たちは、自分を正しい人だと思います。
つまり私たちは現実を見ようとしないのです。
町のまん中にライオンがいる、というわけです。
しかし神に呼び覚まされた人々は、現実を見たいという熱望を抱きます。
その結果彼らは、失われた自分の心を知るようになり、聖なる神を認めます。
こうして神がキリストを通して与えてくださった救いに、目が開かれるのです。
願わくは私たちもまた、現実を見ようとする者になりますよう。
「主よ。役立つ目をお与えください。
私の目に触れてください。
その日を迎え、光が見えないなら、痛ましさはいかほどでしょう」。アーメン
God Bless You!!
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