2018年8月17日(金)の手紙

2018年8月17日(金)


『主の名は堅固なやぐら。正しい者はその中に走って行って安全である。』箴言18章10節


このみことばが示しているのは、脅威の世にあって、さまざまな不安を抱きつつも、喜びに満ちて大胆に「私は… 恐れない。人が、私に何をなしえましょう」、「あなたは苦しみから私を守り、救いの歓声で、私を取り囲まれます」と告白する人々が実際にいるということです。

聖書の中の人々はそう叫んだのです。
が、今日も、主の名を堅固なやぐらとする人々は、そう唱えることができます。
彼らは、陥落することのない砦に自分たちの旗を掲げる人々です。
それをつまらないと言えますか。

きょうのみことばは、その砦への道を示します。
もちろん単に「神は堅固なやぐら」とソロモンが言わなかったことも重要です。
彼は「主の名は堅固なやぐら」と言いました。
どういう意味でしょうか。

主の名とはほかでもないイエスご自身です。
ではなぜイエスという名が堅固なやぐらであるのか、それを明らかにしましょう。

いつか、ある人が言いました。
「私はいわゆる至高の存在を信じます。
それがアラー、神、摂理、運命、どんな名で呼ばれようともよいのだが」。

私は答えました。
「いつかあなたも危機や悩みにぶつかるでしょう。
その時に、摂理ということばに逃げ込んで見なさい。
運命に、至高の存在に、しがみついてみなさい。

そうすれば、あなたは神の名を知らないのだということがわかります。
神を見知らず、神もあなたから遠く離れておられることがわかるでしょう」。

しかしイエスは、現れた神であり、救い主です。
この方こそ堅固な城です。
彼を呼び求める人は、名をもって神を知る人です。
イエスを呼び求める人は、堅固な城に住みます。

イエスという名の前には、よみも逃げ去ります。
イエスという名の前には、神のさばきさえも沈黙するのです。
イエスが私たち罪人のために、十字架で罪の償いを終えられたからです。

主イエスよ。
あなたを認めさせ、信じさせてください。アーメン

God Bless You!!


a:140 t:1 y:0