2018年8月15日(水)の手紙

2018年8月15日(水)


『愚かさにふけっている愚かな者に会うよりは、子を奪われた雌熊に会うほうがましだ。』箴言17章12節


「我らは半ば愚か者、真の愚か者をつかまえる。
だが七割がたの愚か者、彼は我らの手におえない」。

きょうのみことばを読むとき、この滑稽な愚痴を思い起こします。
が、なおもよく読むと、このみことばはもっと深遠だと気づきます。

子を奪われた雌熊。
それは危険ですが、愚かな者に出会うのはもっと危険だというのです。
熊は私たちのいのちを損ないますが、愚かな者は、私たちが持つ「神からのいのち」を奪うからです。

「神からのいのち」とは何でしょうか。
生まれつきの人に、それはありません。

が、聖霊が私たちの内に働いてくださるなら、悔い改めと十字架の主への信仰とが覚醒されて、人は祈るようになり、神のことばを愛する者になります。
これが神からのいのちです。

が、それは、どれほどことばを費やしても説明できません。
死んでいる人に、いのちが何であるかは決してわからないからです。
が、神からのいのちを持つ人は直ちにこのことを了解するのです。

さてソロモン王は、神からのこのいのちが愚か者によって脅かされている、と語ります。
神の目に映る愚か者とは、だれでしょうか。

ダビデは言います。
「愚か者は心の中で『神はいない』と言う」。

またイザヤによれば、愚か者とは、自分に似せて、自分の考えで神を造り出す人のことです。

そしてパウロは、神を侮る者たちのことを、「自介では知者であると言いながら、愚かな者となった」と言っています。

さらに神ご自身は、地上のことをしか考えない金持ちに向かって、「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる」と仰せになります。

これらの愚か者は、人間的には賢い人であり得るでしょう。
それゆえにこそ彼らは、神のいのちに関しては危うい人たちだということになるのです。

主よ。
私たちの内に始めてくださったみわざを、どうぞお守りください。アーメン

God Bless You!!


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