2018年8月10日(金)の手紙

2018年8月10日(金)


『よみと滅びの淵とは主の前にある。人の子らの心はなおさらのこと。』箴言15章11節


帝政ロシアの時代にこんな諺があったといいます。
「天は高く、ツァー(皇帝)は遠し」。
絶望しただれかが言い始めたのでしょう。

意味はこうです。
「大帝国を治めるツァーでも、すべてを見、すべてを知るのは困難だ。
農民の苦しみ、役人の冷酷などを、皇帝はご存じないだろう。
『ツァーは遠し』である」。

さて次は「天は高く」です。
この背後には、神の場合もツァーと同じなのだろうとの懸念が潜んでいます。
神でさえも、人間の悩みはお知りにならないだろう、というのです。

言うに 言えない苦しみ、疑い、問いを、じっと見つめる人の子らの心の孤独。
それをこのことわざは語ろうとするのです。

このような心について、さて聖書は何と述べるでしょうか。
よみ、滅びの淵、人の世のすべて、そして私たちの心の中でさえも、神の目に隠れてはいない、と言うのです。

神がかたちをとって私たちのところに来られたイエス・キリスト。
そのみ姿の中に、このことは印象的に言い表されています。

「イエスはご自身で、人のうちにあるものを知っておられたので、人についてだれの証言も必要とされなかった」。

熱帯魚を趣味とする青年がいます。
彼はいつも水槽におおいかぶさって中をのぞき込んでいます。
神も同じように、人の世をご覧になっています。
すべての出来事、すべての心の思いは、神の前に明らかなのです。

聖書に、小さい子どもを連れて荒野をさ迷ったひとりの母親のことが書かれています。
渇き切り、絶望し、ついに彼女は死を覚悟しました。

その時に突然、自分の名前が呼ばれました。
神の声です。
神は彼女にひとつの井戸を示されました。

この方こそ、彼女が「エル・ロイ」、ご覧になる神と呼んだ方でした。

主よ。
憐みに満ちた?在を感謝いたします。アーメン

God Bless You!!


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