2018年8月1日(水)の手紙

2018年8月1日(水)


『主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。』詩篇34篇18節


神さまのお気に入り、というような人がいるでしょうか。
いるのだ、と聖書は言います。
それは心の打ち砕かれた人々です。

聖書に詳しい人は、「それは本当だろうか。
聖書はそうは言わない。
『神は実に 世を愛された』。
世を、だ。
だからすべての人を愛されるのではないか」と怒って言います。

が、きょうのみことばは、はっきりと、神は砕かれた心を特別に愛されると宣言しています。
だとすると、これは選抜ということですか。
それならば、やはり特別なお気に入りということではないでしょうか。

こんなたとえが説明に役立つでしょう。
十字架のイエスから、神の愛が川のようにこの世に向かって流れ出すとします。
さて水は、堂々たる高い岩山にはとどまらずに、下へと流れます。

同じように神の愛も、固い石の心には流れ込みません。
エルサレムの町、すなわち神の愛が注がれるのを頑なな心で拒んだその町のために、イエスが涙されたことは、衝撃的ですらあります。

水は低きにつく。
水は下へと流れます。
神の愛も「下」なる人へと流れ下るのです。

下。
それはダウンするのと同じではありません。

現代のドイツ語には(英語からの借用ではくはダウンだ」という表現が定着していますが、下とダウンとでは、猫の苦しみ(二日酔い)と苦しみとの差ほども違うのです。

下とは、神によって砕かれた人々。
神が彼らにその失われたさまを示してくださった人々。
もはや良心の訴えに耐えられない人々。
変わりたいと願いつつ、どうすればよいかわからない人々、のことです。

このような人々へと、神の愛の大河は流れ下ります。
そしてそれゆえにこそ、この砕かれた心は神のお気に入りなのです。
彼らこそが主の愛に喜んで応じる人たちだからです。

主よ。
自力でやれると思わない人を愛してくださることを、感謝いたします。アーメン

God Bless You!!


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