2018年7月30日(月)の手紙

2018年7月30日(月)


『ヒルキヤは書記シャファンに対してこう言った。「私は主の宮で律法の書を見つけました。」』歴代誌下34章15節


イスラエルで前代未聞の大事件が起こりました。
神のことば、すなわち聖なる律法の書が失われていたのです。
しかもそれに気づく者がひとりもいなかった。

祭司ヒルキヤがどこかの小部屋でそれを見つけて初めて、人々は律法の書を思い出す始末でした。
そしてそれを読んで、民全体が、自分たちの失っていたものに突然気づくのです。

時として私は、このドイツ、あるいはヨーロッパで同じことが起こるのではないかとの心配に襲われます。
聖書が失われる心配です。
しかも、なくなっていてもだれひとり気がつかない。

恐らく皆さんの中には、すでに生活から聖書が失われているという人々がいるでしょう。
聖書はどこかに、あるにはある。
ちょうど当時の律法の書が、神殿のどこかにずっとあったのと同じように。

が、用いられず、忘れられて。

恐ろしいことです。私たちの生活に対して、神は沈黙しておられるのです。
神が語られるとすれば、それは聖書を通してだからです。
それゆえ、私たちは幾百幾千もの声を聞きつつ、最も大切なひとつの声だけは、決して聞かないのです。

エッセンの学生会館ヴァイグレ・ハウスに、第二次大戦後、1枚の貴重な写真が掲げられました。
破壊された町の絶望的な瓦礫の山。
街角で遊んでいた子どもたちが、ガラクタの中から何かを見つけました。
十字架にかかった主の絵です。

彼らは驚いてそれをながめています。
彼らの顔には、この十字架のなくなっていたことが、あらゆる不幸の原因だったのではないか、との懸念がありありとうかがえるのです。

ヒルキヤが神のことばを見つけたのと同じように、子どもたちはそれを全く新たに見いだしました。
私たちも聖書を、そして人となったことばであるイエスを、再発見すべきです。

主よ。
みことばと、み救いを忘れぬよう、私たちをお守りください。アーメン

God Bless You!!


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