2018年7月29日(日)の手紙

2018年7月29日(日)


『こうして、民は自分たちのみずから進んでささげた物について喜んだ。彼らは全き心を持ち、みずから進んで主にささげたからである。』歴代誌上29章9節


この箇所にも充分注目しましょう。
なぜならこの箇所は、喜ばしい満足な心を持つ方法を教えるからです。

怒りや不機嫌を抱く方法ならば、だれからも教えられる必要はありません。
しかし喜ばしい満足な心を得る秘訣は、だれもが知りたいことです。

処方は全くあきれるようなことです。
あなたの主なる神に、しっかりとしたささげ物をせよ。
それだけです。

金銭、力、時間、その他なんでもよい、主にささげよ。
自分に打撃となるほどのささげ物をせよ。

しかし、それで人の心は喜びを持つのでしょうか。
私たちにはそれは愚かとしか思えません。

生まれながらの性質は言います。
「逆であれば、つまり何か良いものを貰うとか、それならば人は喜ぶだろう。
が、ささげたり、人にやってしまったり そんなことをすれば、心も顔つきも苦々しくなるだろう」。

私たちもそう考えます。
が、実はそうではないのです。

きょうのみことばによると、ダビデ王は神の民から大々的な物品寄付をつのりました。
神の宮に、器具、金、銀、宝石などを集めるためでした。
民はやがてささげ始めます。
そして、それで終わったのですか。
いいえ。
彼らは「自ら進んでささげた物について喜んだ」のです。

私はある憂鬱気味の金持ちの婦人を知っています。
牧師が彼女に、一度お宅のきれいな庭に貧しい人々をいっぱい集めて宴会でも開いたらどうだ、と勧めたことがあります。

最初、彼女はそんなことはできないと思いました。
が、そのとおりにした日の夜、彼女は心から言いました。
「ああ、きょうは私の一生でいちばん良い日でした」。

主よ。
自己中心をお赦しください。
そのために不幸になっている私たちに、ささげること、仕えること、を教えてください。アーメン

God Bless You!!


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