2018年7月15日(日)の手紙

2018年7月15日(日)


『ダビデはナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった…。」』サムエル記下12章13節


そんなに簡単に行くでしょうか。

ダビデが罪を言い表しました。
すると神はもうそれを赦される。
そんなに簡単に行くでしょうか。

そうです。簡単に行ったのです。

しかし、実際はやはりそれほど簡単ではありません。
私たちの心が「主に対して罪を犯した」と言い出すまでには、長い抵抗が続くのです。

神の側で赦しに手間取ることはありません。
赦しは初めからそこに用意されています。
ひとり子、主イエスが十字架に私たちの罪を負い、処罰され、こうして神はイエスにおいて正義を全うされたからです。

十字架が立っているので、神はすぐに赦すことがおできになるのです。
どんなに恐ろしい罪についても、それは有効です。

イエスは、小さな罪のためばかりか、ダビデの数々の大罪、姦淫、欺き、裏切り、殺人… のためにも死なれました。
イエスのいさおしは大きく、それゆえに神はいかなる罪をもお赦しになることができます。
神の側には、赦しを阻むものは何ひとつないのです。

私たちの側では、しかし、事は簡単には行きません。
私たちは自分の罪を認めないで、言いわけをします。
自己弁護をします。
そうする限り、神の赦しは不可能です。

キリストの血による罪の赦しは、私たちを立たせる最強の内的助けです。
が、その助けを得ようと進み出ても、私たちの心には悔い改めの用意がありません。

「私は主に対して罪を犯した」と言うようにならない限り、罪は地獄に行くまで私たちを離れません。

言い表して初めて私たちにも、「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった」と宣言されることになります。
自分の罪を認める人だけが、神の赦しをいただくのです。

主よ。
私たちの心のさまを教えてください。
私たちの罪を覆ってください。
悔い改めないままで、滅びることがありませんように。アーメン

God Bless You!!


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