2018年6月9日(土)の手紙

2018年6月9日(土)


『愛は寛容であり、愛は親切です。 …自分の利益を求めず、怒らず、 人のした悪を思わず… すべてをがまんし…。』コリント人への第一の手紙13章4節~7節


「それは不可能な要求だ」。
私たちの理性は叫びます。

しかし心を静めるならば、神のこのような答えが聞こえます。
「不可能なのは要求ではない。
あなたがたのほうが不可能なのです。
そのままでは、あなたがたはわたしの国にふさわしくない」。

ところで最も大切なことですが、これらはそもそも決して要求ではありません。
よくご覧なさい。
ここでは何ひとつ禁じても、命じてもいません。
ただ、神がどのような人を喜ばれるかを、述べているだけです。

イエスに贖われて、洗いきよめられ、聖霊の支配のもとにある人は、今やこういう姿をしているのだと、私たちの眼前に提示されるのです。
それゆえに私たちは、これに照らして自分のキリスト者生活を点検することができます。

私は、中国人ウォッチマン・ニーの本を読んだことがあります。
彼はローマ人への手紙を学んだ末に、こう結論づけました。

パウロは血とイエスの十字架とについて語っている。
血は私たちを罪からきよめる手段であるが、十字架は私たちが自分の古い性質をキリストとともにそこに死なせることのできる場所である。

多くのキリスト者は、血すなわち罪の赦しのみを求めるが、神は、私たちがイエスとともに死んで、イエスとともに新しいいのちによみがえることを願っておられるのだ、と。

この新しいいのちを、きょうのみことばは描写しているのです。
「愛は… 自分の利益を求めず… 人のした悪を思わず…」。

愛する主よ。
あなたの死へと導き、ともに釘付けたまえ。
御国にふさわしくないすべてを…。アーメン

God Bless You!!


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