2018年6月30日(土)の手紙

2018年6月30日(土)


『ヤコブはエジプトに穀物があることを知って、息子たちに言った。「あなたがたは、なぜ互いに顔を見合っているのか。」』創世記42章1節


「なぜ互いに顔を見合っているのか」。

父ヤコブの言うとおりです。
飢饉がやって来ました。
そしてエジプトには穀物があります。
それならば、「さあ、行ってパンを買って来い」と言うのは当然です。

「なぜ互いに顔を見合っているのか」。
私たちもまた、そう呼びかけられているのではないでしょうか。

この世にはどこにも、心を満たすものはありません。
世界中を尋ね回って、最も刺激的な娯楽を捜すことはできるでしよう。
有意義で根気のいる仕事に打ち込むこともできます。

けれども、それらは心の飢えを満たさないのです。

詩篇107篇にあるとおりです。
「飢えと渇きに彼らのたましいは衰え果てた」。
これはまさに今日の私たちの姿ではないでしょうか。

さてそこにひとつの知らせがもたらされます。
「私たちのたましいを生かすパンがある」という良い知らせです。

イエスはご自分について言われました。
「わたしはいのちのパンです。
…わたしは、天から下って来た生けるパンです。
だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます」。

これこそがニュースです。
そのあとに続くイエスのみことばを読むなら、主はここで、ご自分の十字架と、私たちのために流す血潮とについて語っておられるのだとわかります。

私たちのために死に、罪の赦しによって私たちの暗黒の生涯を整え直してくださった救い主。
そうです。
この方こそが心のパンです。

しかし今一度お勧めしなければなりません。
「なぜ互いに顔を見合っているのか」。
「さあ、死からよみがえって、生きておられ、私たちの心を永遠のいのちで満たすイエスのもとに、行こうではないか」。

主よ。
決断なき私たちをお赦しください。
「ただあなただけが、平和、喜び、いのちをくださる方」。アーメン

God Bless You!!


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