2018年6月14日(木)
『愛は… 人をねたみません。』コリント人への第一の手紙13章4節
なんという驚くべきみことばでしょうか。
私たちの考えでは、嫉妬のない真の愛などはあり得ません。
小さい子どもでさえも、すでに自分の弟や妹を憎むことがあるのです。
両親の愛に嫉妬するからです。
「愛は人をねたまない」のであれば、ここで語られる愛は私たちの知る愛とは全く別のものだとわかります。
しかしこの混乱した世界で、誤りなく語ることはなんと難しいことでしょうか。
結婚の聖さを無視して浮気に走った夫または妻が、その配偶者に向かって「ご覧、聖書にも「人をねたむな」と書いてある」などと言おうものならば、このみことばは明らかに誤用されているのです。
これほどの曲解があるでしょうか。
確かにこれは難解なみことばです。
だからこそ正しく理解することが大切です。
しかも、聖書がしばしば神はねたむ神だと語ることが、ものごとをいっそう複雑にします。
しかしながら、神がねたむ神だという、まさにそのことが、私たちにいっさいを明らかにします。
他の人々を「所有」したいと思う人は、ねたみを起こします。
が、私たちを所有する権利のあるただひとりの方は神です。
もともと私たちは神の所有に属する者です。
神が私たちを造られたからです。
神はまた、御子イエスの血をもって私たちをご自分の所有として買い戻してくださいました。
それゆえに神が嫉妬なさるのは正当なことです。
私たちが他の人をあたかも自分のもののように「所有」しようとすれば、それは罪です。
配偶者、子ども、部下…。
彼らは私たちのものでなく、神のものです。
それゆえ私たちが彼らを愛することは許されますが、所有者のようなねたみを抱くことはできません。
正しい愛は、他の人を所有しようとはせず、彼のために生きようとします。
人が他の人のために生きようとするところには、嫉妬の入り込む余地はありません。
主よ。
私たちに正しく愛することを教えてください。アーメン
God Bless You!!
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