2018年5月27日(日)の手紙

2018年5月27日(日)


『人々はこれを聞いて、心を刺され…。』使徒行伝2章37節


心を刺される。
それは殺人ではありませんか。
新約聖書にはこういう殺人事件があったのでしょうか。

確かに聖書には無数の殺人事件が記されています。
ベツレヘムの幼児殺しなどを思い起こせば充分でしょう。
しかし、これらの事件は悪人どもが起こした殺人です。

ところがきょうのみことばでは、神が殺人者です。
これは前代未聞ではありませんか。
いったいこの記事はいつのことだったのでしょうか。

神が聖霊を世に送られた最初のペンテコステの日のことです。
その日、人々に説教をしたのは、純朴な漁師ペテロでした。
彼の説教は、聖霊に満たされた心からあふれ出るものでした。
それゆえに一言一言は、神の鋭い剣のように人々の心を刺しました。

人々の実際の姿は、聖なる神の目に惨めな罪人、哀れな被告そのものであることを、ペテロは短いことばでえぐり出したのです。

人々は「これを聞いて、心を刺され」、殺され、死にました。
私たちのうちの、いずれは死ななければならないもの、すなわち、神を、困った時だけの非常ブレーキのように扱う高慢、それが死んだのです。

また、死んだのは、神の前にまるで平気で立てるとうぬぼれる、哀れな自己義認でした。
死んだのは、自分は正しく、悪いのは他人だ、という幻想でした。
死んだのは、神も地獄も恐れない確信であったのです。

そうです。
神の脅威は人々にふりかかります。
そうであれば彼らは、ひとりの方、神の御子イエスが、すでに私たちのために死なれたという知らせを、いったいどんな気持ちで聞くでしょうか。
しかも、人々はこのイエスのうちにこそ、新しいいのちを見いだすのです。

主よ。
私たちの「古い私」を殺し、いのちに生きるものとしてください。アーメン

God Bless You!!


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