2018年5月12日(土)の手紙

2018年5月12日(土)


『イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。』マルコによる福音書16章19節


ヒマラヤ探険記を読んで、特に印象深く思った記事があります。
「隊員たちはテントを張った荒地に立った。
濃い霧が山々を隠している。

が、突如一瞬、雲が切れると、真正面に八千メートルの山並みが覆いかぶさるようにそそり立っていた。
静まり返る雪の山肌、巨大な氷河、天に突きささる山の頂。
しかし、次の瞬間、再び霧がすべてを閉ざしてしまった」。

私はこれを読みながら、きょうのみことばを思い起こしました。
「主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた」。

このみことばを読んで、力や尊厳を感じない人がいるでしょうか。
この一瞬、私たちの眼前に、見えざる永遠の、しかし真実の世界が、ヴェールをはぐのです。
この一瞬に、私たちは栄光に輝く天を垣間見ます。

こうして私たちの目はたちまち、いと高き山頂に届きます。
生ける神の御座に。

心は喜びで叫び出さないでしょうか。
残酷な十字架によって、私たちを神のものとして買い戻してくださった主が今、こんなにも力強く上げられるのです。

しかしもっと良いことには、聖書はイエスの高揚ばかりではなく、同時にまた、主がご自分の民を忘れないお方であることをも語ります。

ローマ人への手紙には、まるできょうのみことばの続きのように、こう書かれています。
「キリスト・イエスが神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです」。

私たちの救い主の、なんという慰めに満ち栄光でしょうか。

主よ。
私たちは霊においてあなたを礼拝し、あなたにある身の幸いを喜びます。アーメン

God Bless You!!


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