2018年4月30日(月)の手紙

2018年4月30日(月)


『イエスは彼らに言われた。「あなたがたの今とった魚を幾匹か持って来なさい。」 …「さあ来て、朝の食事をしなさい。」』ヨハネによる福音書21章10節~12節


子どものころ、おとぎ話をよく聞きました。
貧しい炭焼きが何の変哲もない小箱を手に入れて、それを開くと、立派な宝石がいくつも出て来たという話です。

小さい私にとって、小箱はなんと魅力的であったことでしょう。
自分にもそれがひとつあればと思いました。

きょうのみことばの中に、私はついにそれを見つけました。
福音の宝石が幾つも、所狭しと詰っているのです。

まず救い主のなんという愛と忍耐でしょうか。
復活の勝利の主にとって、逃げた弟子たちを追うことよりも大切な仕事はなかったというのでしょうか。
そうです。
これよりも大切な仕事はなかったのです。

さらに、ご覧なさい。
主が彼らに仕えておられます。
主はすでに、空腹の弟子たちに食事を準備しておられたのです。
これが主のやり方です。

「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです」。

次に主は「さあ来て、食事をしなさい」とお命じになります。
主は一家の主人のように話されます。
放蕩息子たちが家庭の団欒に入れられるのです。
パウロも、「(私たちは)神の家族なのです」と誇らしげに語りました。

弟子たちが、すなわち罪の重荷を負う裏切り者たちが、そこに座りました。
彼らの心を恵みがいやし、こうべを上げさせ、慰めを与えます。

不思議な大漁の驚きが、なおも彼らの心に余韻を残していました。
イエスにあって、私たちは不思議を経験することができるのです。

湖畔の静かな朝。
太陽は上りました。
これは、心と良心とを照らす「恵みの太陽」の象徴とも言える光景ではありませんか。

「来りませ、尊い恵みの太陽。わがたましいをくまなく照らせ」。アーメン

God Bless You!!


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