2018年4月26日(木)の手紙

2018年4月26日(木)


『イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」彼らは答えた。「はい。ありません。」』ヨハネによる福音書21章5節


この会話の場面をしばし忘れ、当時のことを離れて考えて見ましょう。

主は今日の世界に対しても、「あなたがたの飢えを満たす物はありますか。
食べる物はありますか」と尋ねておられるのではないでしょうか。

そしてこの世が存在する限り、世は答えなければなりません。
「主よ。私たちの胃は満たされていますが…、心は飢えています」。

今日、人々は巨大な文明と文化を享受しています。
娯楽のたぐいは至る所で手に入ります。
それでいながら心が満たされないということがあるでしょうか。

けれども私は、若者たちの顔に生気がないのを見ています。
彼らは空虚な人生に悩んでいるのです。
金持ちの父親のおかげで、したい放題の毎日を送った青年のことを思い起こします。
彼はピストル自殺をしたのですが、ただ一言「生きがいがない」と書き残していました。

さて私たちのために苦しんだ神の御子、復活の主イエスが、この憐むべき世の岸辺に立ってくださいます。
主は、詩人がこう歌う人々の、飢え渇いた心をご覧になります。
「彼らは食べるが、満ち足りない。彼らは飲むが、心は弱る…」。

「食べる物がありませんね」と、主はこの世に尋ねておられます。
世は声を限りに「ありません、主よ。
働いても遊んでも、私たちは心が満たされません」と叫ばなければならないと、私は思います。

そうすれば、神の御子は彼らに言われます。
「わたしがいのちのパンです。
このパンを食べるなら、決して飢えることがありません」。

主よ。
私たちの飢えを満たすために来てくださったことを感謝いたします。アーメン

God Bless You!!


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