2018年4月10日(火)の手紙

2018年4月10日(火)


『よみがえられたのです。』ルカによる福音書24章6節


よみがえられた。
なんというひとことでしょうか。

しかし、そのことばには破壊的な力が秘められています。
それは神の勝利を告げるファンファーレです。

世界を動かす知らせです。
最も強いのは死ではなく、いのちだという知らせです。
この哀れな世界に、神から遣わされた救い主がおられるという、慰めに満ちた知らせです。

それは私たちに、ささやかな人間知性を捨てさせ、神が不思議を行われることを認めさせます。

復活の朝、この短いみことばは、悲しみながらイエスの墓を訪ねた女性たちに対して語られました。
以来、同じみことばは全地球を駆け巡りました。

私たちにも届きました。
それは私たちの心に何をなしとげたでしょうか。

復活の賛美歌を読むとき、そこに鳴り響く大歓呼の声に私たちは圧倒されます。
「輝きの朝が来た。
だれひとり、喜びすぎる者はない。
我らの主キリストがきょう、勝ちを得て、すべての敵をとりこにされた。ハレルヤ」

イエスの復活に対する輝く喜びが、今日の私たちキリスト者にとってはこんなにも鮮やかでない、という事実に思い至るとき、私は大きな衝撃を覚えます。

私たちは死んでおり、燃え尽きて、冷え切っているのではないでしょうか。
イエスの復活は、どんなに熱心に取り組んだとしても 私たちには、たかだかひとつのテーマでしかないのです。

どこかがおかしくなっている。
せめて私たちが自分の霊的な死について、安心できなくなりさえすれば。
そして、そんな渇きを持って、次のように祈り始めさえするならば。

主よ。
あなたのものとされた私たちは、心から復活を喜びます。
私たちを部外者としないでください。
あなたの喜びに、私たちをも加えてください。アーメン

God Bless You!!


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