2018年3月29日(木)の手紙

2018年3月29日(木)


『キリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たち…。』ローマ人への手紙5章2節


中世の民話に、ファウスト博士が登場して悪霊どもを呪文で呼び出す場面があります。
そこにヴィツリ・ブツリという小鬼も顔を出しますが、ファウストはこれに向かって尋ねます。
「いったいお前たちは、永遠の救いへの憧れなどは感じないのか」。

すると悪鬼が答えて言うには、「地獄から天国へはしごが続いていて、はしご段がみな鋭いナイフであったとして… 俺はすぐさまよじ登る。
バラバラに刻まれてたどり着くとしても」。

この古い戯曲の作者が明確に認識したとおり、神から最も遠い心にも、神、平安、恵み、天国のいのち、罪の赦し… 等々へのひそかなる憧れがあるのです。

人はこの憧れを自ら退けようとします。
それが本当に満たされるとは信じないからです。

しかし福音は麗しいかな。
福音は私たちに告げ知らせます。
神のふところへとまっすぐに私たちを導くはしごが現にあること。
それは鋭い刃先でできてはいないこと。
そのはしごは、十字架にかかられた神の御子、イエス・キリスト、その人であることを。

もちろん、次のようにも言わなければなりません。
十字架のイエスこそは、天へのただひとつのはしごだ、と。

それは偏狭である、ほかにも道はいくつもある、と異議を唱えることはできません。
神のふところへのただひとつの道を十字架上に開くことを、聖なる神がよしとされたのであれば、私たちは不服を言うのをやめて、感謝してこのいのちへの道を用いようではありませんか。

釘あとのある主よ。
天へのはしごであるお方、御父への道であり、開かれた門である主よ。
私たちの愛はあなたからいただいたものです。アーメン

God Bless You!!


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