2018年3月27日(火)の手紙

2018年3月27日(火)


『十字架のことばは…私たちには、神の力です。』コリント人への第一の手紙1章18節


ある人が腹立たしげに言いました。
「キリスト者が、処刑された人物を信仰の中心とするのは忌まわしいことだ。
死んで行く殉教者の姿など、人を滅入らせるだけだ」。

なるほどそうかもしれません。
が、不思議なことに、十字架の救い主には、人を滅入らせるところがまったくありません。

それどころか逆なのです。
この世の何物をもってしても、私たちの心をこれほどに慰め励ますことはできません。

この十字架には、死臭は漂いません。
むしろ栄光の神の、いのちの息吹があふれるのです。

どうしてそんなことがあり得るのでしょうか。
だれかが十字架に死んだというだけではないからです。
それだけではなく、力ある、栄光に満ちた神の救いのみわざがなし遂げられたからです。

いくつかのみことばを聞きましょう。
「神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ… てくださいました」。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」。

「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」。

「罪に定めようとするのはだれですか。
死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが… とりなしていてくださるのです」。

「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡した方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう」。

「まして、キリスト… の血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう」。

これらはみな、いのちを告げる、幸いな力あるみことばではありませんか。

主よ。
あなたの死の御苦しみが、私にとって無駄になりませんように。アーメン

God Bless You!!


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