2018年3月14日(水)の手紙

2018年3月14日(水)


『「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。』ルカによる福音書23章33節


私たちの神はなんと見事にものごとを変化させる方でしょうか。
十字架にそれを見ることができます。
十字架はいまわしい発明であり、人間の残忍性の表明でした。

さて神はこの恐るべき十字架を取り上げて、最もすばらしい、最も聖なるものに変えてしまわれます。
つまり神は十字架からひとつの祭壇を造り、その上にひとつの犠牲を置いて、聖なる神と私たち罪人との間に決定的な平和をもたらしてくださったのです。

吐き気を催す十字架は、喜ばしい祭壇となりました。
そして、この祭壇にささげられるべき犠牲、すなわち他のすべての犠牲を無用にする犠牲とは、イエスご自身です。
聖書はイエスを「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と呼んでいます。

私たちはこの祭壇の上に平和を見いだします。
私たちはここに、内心苦しみつつ運んで来た、私たちのすべての罪の除去を見ることができます。

この祭壇の上で、すばらしい取り引きをすることができます。
また生涯のすべての後ろ暗さが、十字架のお方の上に置かれているのを、見ることができます。
そして、彼の平和は大水のように私たちに押し寄せます。

尊い十字架、喜ばしい祭壇。
私たちの心を、故郷を失った小鳥にたとえた詩人は、こう賛美しました。

「雀さえも住みかを見つけました。
つばめも、ひなを入れる巣、あなたの祭壇を見つけました」。
この祭壇の上で、次のことがなし遂げられました。
「すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分をと和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです」。

主よ。
あなたの十字架の賜物に、目を開かせてください。
そこに平和を見いださせてください。アーメン

God Bless You!!


a:182 t:1 y:1