2018年3月12日(月)の手紙

2018年3月12日(月)


『彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた。彼らはそこでイエスを十字架につけた。』ヨハネによる福音書19章17節~18節


なんという陰惨な場面でしょうか。
ヴィア・ドロロサ(悲しみの道)を、測り知れない苦しみ、悲しみ、痛み、暴虐、冷酷、非情が進んで行きます。

その光景を思い描くことができます。
が、なお近寄ってよく見ると、驚いたことには、この悲しみの道は、実に「勝利の道」へと転じているのです。

将軍の凱旋帰還に当たっては、ローマの町は「勝利の道」を飾り、威風堂々の行列を繰り広げたとのことです。

「イエスはヴィア・ドロロサを凱旋行進に変えた」と言えば、ばかげているでしょうか。
けれども、そのとおりなのです。

よくご覧なさい。
ローマの百人隊長が馬に乗って威丈高に、罵声を張り上げています。
が、間もなく彼は全世界に向かって、イエスを信じると告白することになるのです。

シモンという男をご覧なさい。
人々は彼に無理やりイエスに代わって十字架を負わせました。
彼の内心は煮えたぎりますが、我慢したのです。
しかし、それも長くは続かないで、彼もイエスを、死と罪と世からの大いなる解放者として告白することになります。

イエスの後方を、惨めな犯罪者があえぎながらついて行きます。
彼も十字架につけられるのです。
が、それも長くは続かないで、彼もイエスを呼び求め、ともにパラダイスに移されます。

まさに「キリストは死を滅ぼし、いのちと不滅を明らかに示されました」。
なんという凱旋行進でしょうか。
ヴィア・ドロロサには、早くも勝利の歌が響きます。
「イエスの勝利は、永遠になしとげられた」。

主よ。
私たちの心をも征服してください。アーメン

God Bless You!!


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