2018年2月5日(月)の手紙

2018年2月5日(月)


『イエスは立ち止まって、彼をそばに連れて来るように言いつけられた。』ルカによる福音書18章40節


人々が目の見えない物ごいを助け起こして、いたわりつつ主イエスのもとへ連れて行くようすが目に浮かびます。
それは、つい今しがたまで「黙らせようと…たしなめた」人々です。

大声で絶え間なく「イエスさま。私をあわれんでください」と叫んで、この人は彼らの神経を逆なでしたのです。

それでもなお、手のつけようのない、しつこい叫びはやみませんでした。
次の瞬間には、その彼らが親切な看護人となって、盲人を医者のもとに連れて来るとは…。

何という鮮やかな変身ぶりでしょうか。
そんなことができるものでしょうか。

実際、私たちの変わり身の早さはたいしたものです。
いつか私は、ホテルのボーイに少しばかりのチップをはずんだところ、彼が急に親切になるのを見て驚きました。
不親切な公務員が、上司の姿を見ると急に愛想よくなったのにも、びっくりしました。

けれども、きょうの聖書の記事では、事情は違います。
登場するのは哀れな物ごいです。
ところが、不親切な人々がそれでも急に憐み深い人間になってしまうのです。

どうしてそんなことが起こるのでしょうか。
彼らがその人をたしなめたときに、主イエスが調停に入られたからです。
主は状況を変える方です。

主が行かれるところでは、怒りと脅かしはやみます。
主が人の心を支配されるとき、心は愛と憐みに満ちたものとなるのです。

当時もそうでした。
今日でもそうです。
憎しみや、脅かしや、敵意や、冷淡さ。
これらは「サタンのわざ」です。
しかしイエスは「サタンのわざをこぼつ」ために来られたのです。

主よ。私たちの生涯にも、あなたの平和といのちの国をお建てください。アーメン

God Bless You!!


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