2018年2月27日(火)の手紙

2018年2月27日(火)


『するとすぐに、鶏が鳴いた。』マタイによる福音書26章74節


雄鶏は、どことなくこっけいな動物です。
ふんぞり返って歩き回ります。
私たちは、高慢な人を見ると、「ははあ、雄鶏みたいだな」と思います。

確かに雄鶏は、人のさまざまな面を思い起こさせます。
雌鶏のあとを追うときは、威厳はすっかり吹きとんでしまいます。
本能に縛られた人の姿そっくりです。

そのような雄鶏が、主イエスの受難に一役果たすとは。
そんなことがあり得るでしょうか。
主は弟子ペテロを立て直すために、雄鶏をお用いになりました。

鶏の鳴く数時間前のこと。
そのときペテロはたいした口をきいて、どうぞ私にご期待ください、と言ってのけたのです。
が、主はお答えになりました、「今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います」。

今イエスは縛られれ、さばきの前に立っておられます。
中庭で女中のひとりがペテロの肩を突ついて言いました。
「あなたも、イエスといっしょにいましたね」。
彼は血相を変えて打ち消します。

間もなく兵士たちからも相次いで同じことを言われて、恐ろしくなったペテロは、誓ってまでして答えました。
「そんな人は知らない」。
「するとすぐに、鶏が鳴いた」。

ペテ口は我に返りました。
「彼は出て行って激しく泣いた」のでした。
自分自身のために。

人々が神の前で、失われた自分とその罪とに、自分で気づいていく。
聖書はそのような出来事に満ち満ちています。

あなたもすでにその経験をしたでしょうか。
もうあなたのためにも、失われたたましいに気づかせるよう、鶏は鳴いたでしょうか。
もしもそうであればその時こそが、私たちを神の前に立たせる救い主として、イエスを見いだす時です。

主よ。
私たちの心の真相をお示しください。アーメン

God Bless You!!


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