2018年2月2日(金)の手紙

2018年2月2日(金)


『彼を黙らせようとして、先頭にいた人々がたしなめたが、盲人は、ますます「ダビデの子よ。私をあわれんでください」と叫び立てた。』ルカによる福音書18章39節


ひとりの物ごいを単純に模範とし、教師と仰ぐことは、まず起こりえないでしょう。
が、今日の箇所は例外であり、この物ごいから学ぶことは多くあります。

毎日毎日、彼は道端に座っていました。
ある日、イエスがお通りになるというので、町は黒山の人だかりです。
この人は信じていました。
イエスは神の御子、救い主であると。

それで彼はイエスに向かって叫びました。
イエスのことばを聞こうとした人々は、彼の声にさえぎられてしまったので、静かにしないかとたしなめます。

けれども彼はひるまずに、しつこく叫び続けました。
「イエスよ。私を憐れんでください」。
人々はますます腹を立てて、彼をおどします。
この人にとって、それはつらいことでした。
周りから寄ってたかって小突かれるのは、気持ちのよいものではありません。

それは今日でも同じことです。
だれかが、イエスは神の御子であり、ただひとりのまことの助け、救い主であると悟ったならば、そしてイエスに叫び求めるならば、サタンは、その人を葬り去ろうと全力を尽くすのです。

きっとこんなふうに言うことでしょう。
「それは行き過ぎだよ、君」。
あるいは常識に訴えて、「それは錯覚ではないのか」と。

こうして内から外から、心に向かって、黙らせようとする声が浴びせられます。
しかし、この人は迷いません。
イエスがお答えになるまで叫び続けました。
強引さは必ずしもよいことではありませんが、この場合は、それ以外に道はなかったのです。

主イエスよ。
あなたへのこのような渇望を、私たちにもお与えください。アーメン

God Bless You!!


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