2018年12月31日(月)の手紙

2018年12月31日(月)


『私は…、ラッパの音のような大きな声を聞いた。…「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり…。』ヨハネの黙示録1章10節、17節


一年の最後の日が来てしまいました。

「最後の日」。
そうつぶやく私の心には、憂いが広がります。
年の初めには365の大いなる可能性が開けていたのに、今ではそれらはことごとく過ぎ去って、ついに「最後の日」を迎えてしまったのです。

突然、思いめぐらす私の耳に「ラッパの音のような声」が聞こえます。
「わたしは最後である」。
それは、よみがえった主の御声です。
「あなたが最後だと仰せになるのですか。
それはどういう意味ですか」。

主は答えてくださいます。
「一年の最後の日が過ぎても、わたしはいます。
あなたの生涯の終わりの日が過ぎても、わたしはいます。
この世の終わりの日が過ぎ去っても、わたしはいます。

そして新しい世界が始まるそのとき、すなわち天の軍勢の大いなる賛美と、わたしの血をもって買い取られ、栄光に変えられた教会の歓声、この二つが一つになって溶けあうそのときに、わたしは再び、最初となるのです」。

「ああ主よ。
過ぎ行く者である私は、信仰によってあなたのからだ(教会)の部分とされただけでなく、その日にもあなたのみそばにおかれているのですか。
確かに、あなたはご自分のからだのどの部分をも見捨てなさいません」。

主は言われます。
「そうです。それゆえに、わたしのものとなった人々には、もう終わりの日はなく、常にわたしにあって新しいいのちがあるのみです」。

主よ。
我らは感謝します。
あなたは、過ぎ行くものの流れから、我らを引き出し、血をもって神のものとして我らを買い取り、永遠のいのちを与えてくださいました。
それゆえに、新年への門口で、御手にすがりつつ、告白します。

「主イエスの導きにより、永遠へと進む。
ただ主イエスの、いますのみ」。アーメン

God Bless You!!


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