2018年12月1日(土)の手紙

2018年12月1日(土)


『わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。』ルカによる福音書1章46節~47節


スイスを旅行中のこと、ある村に一人の実業家を訪ねました。
彼のことは忠実なキリスト者だと聞いていました。
ヒトラー政権下の当時では、そのこと自体が容易なことではなかったのです。

その家に着くとすぐに、私は心の重荷を洗いざらい、ぶちまけました。
福音に対する弾圧、自分の身に及んだ不当な扱い、その他のあらゆる悪についてです。

突然、彼は私のことばをさえぎって優しく言いました。
「ねえ、『本質的』なことを話しましょうよ」。

それから私たちは神の大いなるみわざを語りあいました。
イエス・キリストの血による贖いを喜びました。
聖霊の導きによってなし得た経験を、分かち合いました。

すると、それまで心を煩わせていた悲しみや、心配や、不安などが、もはや本質的ではなくなってしまうのでした。

そのときに経験した心の自由がいったい何であったのか、口では言い表せません。
旅を続ける間じゅう、私は、「ああ、自分の霊と心とが、いつも『本質的』なもので満たされていればよいのに」と考え続けました。

さて、この美しい賛美を歌ったマリヤは、まさにそうでした。
「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます」。

彼女のたましい、彼女の霊は、心配や、悩みや、願いごとなどの、こまごまとしたがらくたの物置ではありませんでした。
マリヤの霊は、神の宮であったのです。

主よ。
「小さいことを小さいとし、大きいことを大きいとする」心を、お与えください。アーメン

God Bless You!!


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