2018年11月6日(火)
『私たちの国籍は天にあります。』ピリピ人への手紙3章20節
「なんという無意味なことばだろうか。
私はこの世で生きていかなければならないのだ」、と人は思います。
「もちろんそうです」と使徒パウロは答えます。
「私もこの世に生きているのです。
しかし、キリストをかしらとする教会というからだの、その部分である人は、何よりもまず、このかしらなる方のものです。
それゆえ、その人の国籍と故郷は天にあるのです。
その人は地上では寄留者であり、外国人です」。
世の人は笑うか、怒るかして、言うでしょう。
「それがキリスト者だというのか。
本当のキリスト者生活はこの世では全く無能というわけなのか。
天に家があるというのならば、君たちイエスのしもべたちは、このうえ地上にとどまって何をするのだ」。
これに対して私たちは何と答えるでしょうか。
彼らの言い分は正しいのではないでしょうか。
いいえ、とんでもない。
それは早合点です。
一つのたとえを話しましょう。
ある国の大統領が外国を公式訪問しました。
すべての行事日程を終えてから、彼は、その国に住む同胞を招いてパーティーを開き、そこで大演説をします。
内容はこうです。
諸君は異国の地にあって、いわば大使として私たちの祖国を代表している。
そこをよく自覚して、特に勇敢で、模範的で、立派で、また潔白でなければならない、と。
大統領はこのようにして、「諸君は当地では寄留者なのだから、何もできないのだ」とは決して言わず、逆に「君たちは寄留者だからこそ、すべての点で特に有能であれと言うのです。
私たちキリスト者に語られることが何であるかは、おのずから明らかでしょう。
主よ。
天のふるさとの名誉を損なうことがないよう、私たちをお助けください。アーメン
God Bless You!!
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