2018年11月5日(月)
『私たちの国籍は天にあります。』ピリピ人への手紙3章20節
「キリスト者は二つの世界の市民であり、地上と天上とに属する者である」。
これは言い古されたことばです。
さて、この表現はよく用いられる割には、正しいものではありません。
これに反対するのは、ほかでもない使徒パウロです。
「それは間違っている。
私たちはただ一つ、天の御国の市民です。
私たちの国籍は天にあります」と彼は言うのです。
そう語るパウロに、ことばをはさむ人もいるでしょう。
「パウロよ。あなたの時代にはローマの市民権が幅をきかしていた。
ある時、千人隊長が、自分は大金を払って市民権を買ったのだと、あなたに話したのを覚えているだろう。
ところがあなたは生まれながらの市民だった。
そのあなたが、まるで何も知らないかのような顔をして、自分の市民権は天にあると言うのか」。
これに対して使徒ペテロが代わりに答えます。
「この地上では、イエスの弟子たちはみな寄留者です。
私の書いたペテロの手紙第一の冒頭を読んで見なさい。
そこに私も、私たちの国籍が天にあると、はっきりと言っています。
かなたにこそ私たちの住まいがあるのです。
私たちは地上では寄留者です」。
さて、今日の時代は、このようなことをあまり聞きたがりません。
人々はこのような生き方を「現実離れ」だと考えます。
でもペテロならば、笑って言うでしょう。
「なるほど確かに。
しかし、イエスによって神のものとして買い取られて以来、私たちはすでにこの世ではよそ者(現実離れ)なのです」。
さて、この上、何を言いましょうか。
聖書の権威は私たちにとって不動のものですか。
そうであるならば、今このときが、私たちの根本的な転換の時となるべきです。
主よ。
私たちの名前をいのちの書に記してください。アーメン
God Bless You!!
a:138 t:1 y:0