2018年11月25日(日)の手紙

2018年11月25日(日)


『私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。』ヨハネの第一の手紙3章2節


ある人が言いました。
「子ども時代に、「神さま、ぼくを良い子にしてください。
天国に入れてください』というような祈りをしたが、そのような時代は終った。
今日ではもう、天国を信じるということはない」。

それを聞いて私は思いました。
「気の毒に。
何の望みもなくて、しかもそれを自慢するとは」。

十字架の上で私の罪の償いを果たし、神との和解をなし遂げてくださった主イエス・キリストを、私は信じます。
その恵みによって、私は確かに天国に行くのです。

今日、このような希望を公言すると直ちに、「天国だと。どんなところだ」と質問が返ってきます。
それに対して、きょうのみことばは明確に答えます。

が、それは少し変わった答えです。
それによって天国の外見は何一つ知り得ないからです。

新しい状態、環境については、一言も触れていません。
それはただ、救われた人について、二つのことを述べるだけです。

第一。
彼らがやがて主イエスにお会いすること。

私たちは今、パウロの言うとおり、「見るところによってではなく、信仰によって」歩んでいます。
向こうで主に会うのです。
私たちは主の謙卑のしるしである釘跡を見るとともに、主の栄光をも見ることになります。

第二。
彼らが天国でキリストに似た者となること。

なんと大いなることでしょう。
もはや敗北もなく、罪もなく、拒絶されることもない。
そしてキリストに似た者となる。

「後の状態はまだ明らかにされていない。しかしわかっていることは…」と使徒ヨハネは言うのです。
ヨハネは私たちの悲惨な現状を認めます。
が、それは、確かな望みの前には色あせてしまいます。

主よ。
この目標をしっかりと見させてください。アーメン

God Bless You!!


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