2018年11月21日(水)の手紙

2018年11月21日(水)


『あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて…。』ヨハネの黙示録2章4節~5節


驚くべきことには、聖書はまたしても私たちとは全く逆の考え方を示します。

ヨハネの黙示録は新約聖書の最後の書であり、衝撃的な筆づかいで、神なき背信の世に対する、神の御怒りのさばきを語ります。

ところで、私たち人間が、やがては免れ得ない神のさばきを確信して、黙示録のような書物を著すとすれば、必ずやその時代の断面を描写することから始め、そしてこの世の荒廃に対する診断を下すことでしょう。

ヨハネの黙示録は全く違います。
この書も確かに不信の世に対する審判をあかししますが、驚いたことには、この書は神の子どもたちの罪を語ることから始めるのです。

信仰を持つイエスの弟子たちの恥辱を暴露するのです。

これは私たちにとってはつらいことです。
「世の目の梁」を見つけることは簡単ですが、「私たち自身の目のちり」を見つけるとなれば…。

私たち自身が神のさばきのじゅうたん爆撃をくぐらずに黙示録を読むこと、それは困難です。
ここで主は、神の子どもたちの第一の罪を語られます。
彼らは「初めの愛」を捨てたというのです。

初めの愛とは何でしょうか。

それは、私たち罪人に対する主イエスの愛です。
聖書は「神がまず私たちを愛してくださった」と語ります。
十字架に現された主の愛、それが出発点です。
そして次に、主が私たちを捜してくださることが続くのです。

これをないがしろにできるでしょうか。
主とその大いなる愛へと向きを変えようではありませんか。

主よ。
私たちの罪を明らかにすることによっても、あなたの愛をお示しください。アーメン

God Bless You!!


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