2018年11月19日(月)の手紙

2018年11月19日(月)


『悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。』マタイの福音書4章17節


悔い改め。
ああ、それは多くの人々が考えるものとは、全く違うものです。
悔い改めは、自分で自分を正すことでしょうか。

一つの例を挙げましょう。
ある人が律法の前に罪の重荷を負って立っています。
そして彼はライオンのように戦って身のあかしをたてようとします。
罪を認めず、すべてを良く見せようとするのです。

同じことを私たちは聖なる神の前でも行います。
だれも自分の罪を認めることができないのです。

私の書棚には、かの有名なウィーンの説教者アブラハム・ア・サンタ・クララの、1708年発行の説教集があります。
彼がその時代の人々の罪に対して機知に富んだ独特の攻撃を浴びせるさまは、実に華々しいものでした。

が、それは、押しかけた群衆を楽しませはしたものの、生きた真の働きはしなかったのです。

聖書の「悔い改め」は、それとは違うものです。
聖書の悔い改めは、私たちが何をするか、したか、ということからではなく、神が何をなさったか、ということから始まります。

私たちの迷える邪悪な性質のために、神の心は張り裂けるので、神はひとり子である主キリストを送ってくださいました。
そして主はご自分を、犠牲の小羊として十字架の死に差し出してくださいました。

主は、聖書の言うとおり、「十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。
それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです」。

私たちの悔い改めは、神がしてくださったこの救いのみわざを出発点とします。
それなしには、だれ一人悔い改めることはできません。

それゆえ、私たちがまず聞かなければならないのは、私たちへのさばきはすでにゴルゴタで終わった、ということです。
イエスがそのさばきを担ってくださいました。

今や私たちは恐れずに罪を言い表し、向きを変えて歩み出すことができるのです。

主よ。
恵みの光の中で、悔い改めさせてください。アーメン

God Bless You!!


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